2010/03/02

悪いことした人間は罰を受けるべきだ、という主張をする人間には、少なからず嫉妬のようなものもあるんだろう。

mixi ニュース、毎日新聞の記事。

「私は、この神社に謝らなくてはならないことがあります」--。宇都宮市下岡本町の「山神社」のさい銭箱から、そんな書き出しで始まる手紙と現金3万円入りの封筒が見つかった。

 手紙は、小学生だった約10年前、さい銭箱から1万円札を盗んだことを告白する内容。「社会人になって、お金を稼ぐ大変さを実感し、さい銭を盗んだことを思い出しました」などと記されていた。

 3万円は、盗んだ1万円に「歳月代」を上乗せした額という。利子を付けたさい銭ドロボーの律義な振る舞い。神社の管理責任者の須永正さん(76)は「悪い道に進まず良かった。うれしいね」。【岩壁峻】
にたいして

いい話とかそういう事じゃなく 罰が当たったのか 当たらなかったのかが問題だと思うよ。

というコメント。

罰が当たったかはどうかは兎も角として、当人としては罪は償ったんじゃないかなあ。このような行動に至るまでの重圧となった罪悪感と、支払った三万円。まあそこそこだと思う。
自分が一番償いたいことは、大学一年の夏、部活フェードアウトしちゃったことかなあ。辞めるのはもうお金ないしどうしようもなくなっていたので、仕方ないんだけれど、だからってフェードアウトしていいことではなかった。
あとは、高校一年の時出番あるのに文化祭寝坊したこと…
ボクの話はどうでもいい。

罰ってメイビー二つあって、一つは迷惑を被った人間に対するもので、もう一つは当人のためのもの。決して第三者への見せしめではない。
それでも人間は、やれ捕まえろだの殺せだのと、やんややんやとすぐ騒ぎだす。
そういうのじゃないんじゃないかなっていつも思うけれど、そんなお人よしはボクぐらいなもんなんだろうか。日本人の善悪感とお祭大好きっこな性分的に、仕方ないのかもしれないけれど、まあ何か、うーん、悲しいよなあ。

あと一万円しかないんだみたいな。

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