そろそろ安定したい。ダメだった…
ということで以下振り返り。
正確には去年の 12 月だけれど(去年の振り返りにも書いてある)手やら腕やらを壊した。仕事休むわけにもいかないので、ずるずると使い続けた結果が以下。
この頃は痛いの我慢しながらすごい働いていた。状況的にそうでもしないと仕事終わらせられない感じだったし、手伝ってもらったりもしつつ、なんだかんだいってそれなりの成果物を出せたと思う。体のことを思うとまったくするべきではなかったけれど、仕方なかったのかな…
割を食わされたときに仕方ないねといえるようになったら大人という定義があるけれど、まあ大人になったのかもしれない。大人社会に慣れるみたいなのは中二病的にはなりたいもんじゃあない…参考 https://twitter.com/#!/lyrical_logical/status/87489412673445888
地震。大変だった。同僚が実家帰るとかいうので、皆実家に帰ったが、結局言いだしっぺはめんどくさいとかで実家に帰らなかったりした。ひどい。
以前からたまにあった光のまぶしさと頭痛は、左目の古傷の炎症だということが分かったりした。これは本当に辛かった。丁度実家に帰っているときに酷くなって、一日カーテンを締め切った部屋で過ごしたりしてた。幸い、実家居た頃いつもいっていた眼科へいったら一発で原因分かって目薬も貰って、さして安静にしてれば数時間でよくなるようになった。眼科は大きくなっていた。
この後も何度か炎症は起きてる。頻度を調べるために記録をとるようにした。これ→ http://niha28.blogspot.com/search/label/%E5%8F%B3%E7%9B%AE%E3%81%AE%E7%82%8E%E7%97%87
契約更新。仕事忙しくて忘れられてたりとかで色々酷かった。額面が N 万増えた。ここで増えてなかったら今の傷病手当今ほどもらえてないはずで、今がぎりぎり赤字みたいな感じなので、増えてよかったね…ぞっとする。いや今の状態も全くよくないけれど。
父方の祖父が亡くなった。地震で実家(こっちは母方)に帰ったときに、何故会わなかったのだろうか。後悔マッタナシ。家族が大事。
この頃は仕事が忙しいやら大変やらで、色々考えたりやったりしたけど、結局努力しかないみたいな感じだったし、まあなんともならないと思ったけど、復職したら何とかしたいね…うーん。
過去の日記にこんな記述がある。
正直体が限界なので、努力で何とかするみたいなのはもう無理だと思った。泣ける。
確かこの頃に、組織力がうんたらみたいな話をされた気がする。ようは君が死んでも変わりはいるもの(悪い意味ではない)みたいな話だったけれど、今現在の同僚の状況とか見てると、まあそんな力は小さい組織にはないですよねという感じだ。若い子が努力でなんとかするみたいなのを続けるの、小さい会社だとさもありなんという感じだけれど、そんなことは認められないので、矢張り復職したらなんとかしたい。ダメだったら今度こそ諦めよう。
祖父の初盆でまた実家へ。えーっとこのタイミングだったっけ…阪大の院へいった同期と、後輩と就職大変すぎる働きたくねえみたいな話をした。一応仕事してる人間として色々アドバイスしたかったがボク就活とかしたことないので多分無意味。仕事オワコンという同期に、ちゃんと探すことができれば、仕事もそんなに悪いもんじゃないよといったけれど、今もう一度それが言えるだろうか。
歩いて数分のところに実は職業病とか専門の病院があると気づいたので行った。自分の症状が頸肩腕症候というのだと知った。頸肩腕症候群というのは、原因はよくわからないけれど、兎に角使いすぎで筋肉か神経、あるいは両方が参ってて色々おかしいみたいなことで、まあ色々。最近頻度下がってるけど記録がこれ→ http://niha28.blogspot.com/search/label/%E9%A0%B8%E8%82%A9%E8%85%95%E7%97%87%E5%80%99%E7%BE%A4
初診では、ちゃんと治すなら半年は休まないといけない。 まあでも仕事の都合もあるでしょうし通院しながら様子を見ましょうということだった。
一ヶ月程度では治らないという現実がチラリチラリとのぞいてきているのをやっつけて仕事する、みたいな感じだったので、半年というのはそれなりに衝撃的な診察結果だった。
契約更新せずに失業手当で治るまでなんとかするしかないかな…とか思ってたら、その後も順調に悪くなっていって、最後は完全に腕があがらなくなってしまい、もう無理ですね休みましょうということになって、契約期間残ってたけど休職。
休み始めは休養初期悪化現象で大変辛い思いをした。思い出したくない。
実家に帰る。大学の同期や先輩、後輩と会う。皆相変わらずだった。人や物は思ってるよりあんまり変わらずにいるものだと思ったりした。
誰かといると、そのときだけは体の痛みがマシになるけど、帰った途端辛くなるみたいな感じで、兎に角人に会いたいみたいになってた。ヤバイビョーキっぽい…あと甘いもの食べまくってた。甘いもの食べてる間は痛みがマシになる。客観的に見てこれは完全にビョーキですね。ヒョエー。
何か弟に彼女ができたとかで、母親からチクチク刺された。 働いて働いて、体悪くして引きこもってる人間に、彼女まだできないの?とか聞かないでよ…と心底思った。身を固めろとかそういう感じではなくて、どうにも女性の何割かは何歳になってもコイバナが好きらしい。息子でも関係ないらしい。プライバシー!プライバシー!
来年は何かもうちょっと何かって感じですね…しかしどうすればいいのやら。
実家に帰って十日目くらいかなあ。契約更新どうしようねという話を電話でしたとおもったら、次の日にすいませんヘルプ頼みますという電話がかかってきて、どうしようかと思った。
戻ってみれば未消化チケットが溜まりに溜まっていて、うへーと思いながら三日間頑張ったりした。四日目は力尽きた。ここで頑張ったものはまだ今現在も完全には終わってないみたいで、地獄めいてる…
まあでも一通りカタはついたー、次の仕事は小さい案件だしボク働かなくてもいいよね、ダラダラするだけで金がもらえるヤッター、みたいな感じで次の週過ごしてたら、週末には気づいたらなんともならなくなってて、一日だけ頑張った。鬼神の如き仕事ぷりだった。ボクなら余裕で終わらせられる仕事だったんだけれど、長いこと休んでて復職した人が担当で、かつ引き継いだものなのでノウハウが一切ないっていうところと、例の如く仕事は最初の見積もりより必ず増えるという認識が…うーん、まあダラダラしつつも少しはコード書く仕事をちゃんとすべきだった…失敗だ…
二週間のヘルプが終わってもう師走。ただダラダラとした…中旬くらいに、やっと痛みがかなりましになるお薬にめぐり合えて、ようやく地獄めいた痛みからそれなりに解放された。デパスはメンヘラの女の子がよく飲んでるみたいなイメージしかなかったけど、色々と効用があるようで万能薬っぽいなあ。 http://www.interq.or.jp/ox/dwm/se/se11/se1179025.html
COMFRK vol3 がヤバイらしいので原稿。夏に書きかけてた奴は捨てて、短めのを二つ。お薬なかったら二つ目は絶対書ききれなかったなあ。相当頑張ったけどできあがった文章は短いのでふにゃ~って感じだけど、ダラダラ長く書くのは簡単で、短く要点を抑えるのは難しいので、そういうことです!
それでこれ書いてる。
書きすぎてちょっと痛くなった…しかし三ヶ月前はまずこんなの書くことできなかっただろうし、少しはマシになってる、もしくは薬でましになってる気がしてるだけ…?
今年は全体的に猛省しなければ、みたいな感じだけれど、しかしどれもこれも、一体ボクに何ができたんだろうという感じで辛いね。
来年は、何はともあれまずは元気になることからだと思う。元気になろう。元気になりたい。
まあでも色々疲れたねほんと今年は…
痛くなってきた…書きすぎた…でも今年は本当に色々あったから仕方ないよ…